モデルケース
株式会社巡の環 代表取締役 阿部裕志さん
プロフィール
生まれは愛媛の新居浜というところです。10歳のときに愛知に引っ越し、大学は京都で、大学院まで6年間住んで居ました。工学部の物理工学科というところに入って、宇宙工学の勉強を専攻していました。
数年前に海士町に移ってきましたが、高校時代くらいから、いつかどこかの地域に住もう、ということは考えていました。大学ではロケットの素材の研究をしてたんですが、浪人時代にいろいろ考え事をする時間があって、大学にいる間に自給自足できるようになろう、という目標を研究とは別に立てていたんですね。大学時代はアウトドア、自転車やバックパックで旅行、有機農業研究会をやったり、鳥や豚をさばいたり、そういうことをしていく中で、芽生えた感情がありました。
この時代、この社会のままで、みんなハッピーになれるのかどうか、ちょっと疑問だなと。原点としてはそういうことがありましたね。ただいきなり大学出て、「社会ってこのままでいいんですか?!」とか、「人間がもっと人間らしく!」って言っても、あんた誰ですかって話なので(笑)、まずはまっとうに働こうと思いました。エンジニアとして自分を活かせて、ものづくりでおもしろいことができるところ、ということでトヨタに入社しました。
現場は泥臭くやらないとだめだ
トヨタで働いている最中、たまたま海士町に出会いました。最初はここでひとりでペンションでもやろうかな、ぐらいの思いでした。そこから会社を辞めて、海士に来るふんぎりをつけるときには、いろいろと考えましたね。
将来自分のありたい姿への近道は何なのか、という判断軸で決めました。3つの選択肢を考えたんです。ひとつはすぐにいく、という選択。もうひとつは、2年程度もう少しトヨタで働いて経験を積んでから行くという選択。三つ目は、コンサルに転職して、コンサルタント的な分析の仕方を頭の中に叩き込んでから行くという選択。どの選択肢がほんとうに近道なのかなといろいろ考えました。
最終的には”流れ”みたいなものを大切に考えて決めました。悩んでいたときに思ったのは、時代の流れが早いんじゃないかなということ。”環境”とか”地域”、”持続可能”といった言葉がちょっとづつ目につくようになって。何もバックグラウンドをもたない自分が、その世界で食っていくためには、汗をかいて、自分が動いて言葉を発しないと信頼されないんないじゃないか。現場は泥臭くやらないとだめだ、という感覚の方が勝って、それで決めましたね。
論理的な部分もあり、感覚的な部分もあった。でも自分の中でその時、風が吹いてるっていう感覚はありました。いろいろと出会いがあって、こっちに導かれてるような感覚があって。
僕が海士町に行くことを決めた後、お前と同じようなのが二人いるぞ、と友達に聞いたんです。二人に連絡をとってはじめて電話でしゃべったのが、2007年の10月。29歳の時でした。実際に会って喋ると、目指してる方向性が近いということを感じました。その後、一緒に起業しないかと誘われた。1年は行政で雇ってもらう制度があったので、最初はそれで行こうとも思っていたんですが、でもどうせチャレンジをするのであれば、行政の枠で1年間雇われるよりは、リスクは高いけど一つ飛び出すか、という感覚で起業することにしました。
僕の役割は、主に町内で人間関係を作っていくこと
立ち上げメンバーは僕を入れて3人。信岡は、東京でベンチャー企業の立ち上げをやって、ウェブの会社をいくつかまわったあとフリーランスでやっていた男。自分で稼ぐ手段は持っていた。島に来てからも外から仕事を取ったりしていたて、支えになった。もう一人は、高校時代からNGOで活動をしていた高野という女性です。海外のエコビレッジに自分で行ってみたり、NPOのことや地域のこと、これからのビジョンについてもよく勉強していた活動的な女性でした。
僕の役割は、主に町内で人間関係を作っていくことで、1年目はそればかりをやっていました。誘われたら、必ず行く。役場のいろいろな部署、観光協会、島の農家さん、漁師さん、近所の家などをうろうろしていました。そうやって島のニーズを把握していった。たとえば、人手が足りないんだろうと思って、農家さんのところに作業の手伝いに行く。手伝いながら話をしていると、作り手も少ないけど、それよりも販路が無いことが課題だというのが分かってくる。後継者が現れても、販路が無いんだと。
はじめの3年は地域に根付く時間だと位置づけて,いろいろな繋がりを作っていきました。そうするとだんだん、「言いたいことをもっといえよ、お前についてくよ」と言ってくれる人が現れてきた。最初の頃は、島から一歩も出ない時期にしたり、取材もお断りしていました。1年やそこらで海士町が云々と語るのは早いかなあっていう感覚です。
そういう感覚は大事にしていましたし、島でうろうろしているうちにわかってきたというのが半分、あとは前職の経験がすごい活かされています。
前職は、工場のラインを作る仕事でした。働く人の動きや機械を管理しながら、新しい車種が流れるようにする。大切なのは、そのラインで働く人と現場のことをどこまで真剣に考えて、いいラインをつくるか。いかに現場のひとと信頼関係を築きながらつくるかっていうことでした。
120秒のラインをあと40秒縮めなきゃいけない。この道何年っていうオッチャンの作業をもっと短くするために、分析して、提案をしていく。でも最初は、「お前何言ってるんだ」って毎日罵声をあびせられて怒られて、全然話を聞いてもらえない。
じゃあどうするか。ラインが止まっている週末に練習するわけです。週明けに見てもらって、こうやれば早くなりませんかって説明する。そうすると、だんだん、おお、悪くないなということで、ちょっとづつ動いてくれる。そういう積み重ねを前の職場でしていたんですね。最後には、「お前と出来てよかったよ」と言ってもらえるようになったり。もともと海士町に生まれ住んでない自分が、島のためになることをするとき大切にすることと、製造ラインを考え抜いてやることとは似ていたんです。
普段の活動がすべて
地域に根付くための地域づくり事業と、学ぶための教育事業、そして伝えるためのメディア事業の3つを軸に活動しています。根付いて学んで伝えるっていうサイクルを、すべて自分の中で持つというのがポイントですね。この3つを軸にするという構想は最初のころからもっていました。
現状は、地域の中で求められるもの、ニーズがあるものは、自分たちができるころなら何でもやろう、という感じでやっています。コンサル仕事をしたり、役場の委託仕事、シンポジウムの運営みたいな華やかなものもあれば、民宿とか地元のスナックに夜皿洗いに行ったりとか。お金になるものならないものの両方。ならないものも多いですけれども(笑)、そういうニーズを解決していくことで、地域に根づいていくことになる。ほんとうに何でも屋です。もちつもたれつ。そういうの意識できる人と一緒にやれるのが、一番気持ちいいですね。正しいことを言う人がとおるわけじゃない。いくら正論をいっても、普段の在り方がすべてなんです。信頼されてるやつがいったら、正しいかどうかわからないけど、普段からあいつの行いがああだから、あいつが言うなら、ということになる。
地域ならではの仕事の楽しさとやりがい
自分が仕事を頑張れば頑張るほど、みんなが喜んでくれるっていう。これからもそういうことがしたいですね。誰かの首を絞めるような仕事のモデルは作らない。続く仕事を作っていくことを意識していて、地域の中でまた頼んでもらえるような。一回限りしかできないことはしないですね。そこは非常に意識しています。
たとえば、僕らが島の中で、島をマーケットとした食品卸売をしたら、既存の商店の売り上げが下がる。それはよくないからやらない。外にひずみがいってしまってはいけないですが、東京とか大阪にニーズがあるんだったら、そこをターゲットにし、あっちも喜んでもらえるものを提供していくっていう。
「くらし」「しごと」「かせぎ」の3つのバランス
既存の地域活性とかにはあまり興味がなくて、新しい生き方を実践したいと常に思っています。「くらし」「しごと」「かせぎ」の3つのバランスをとれた生き方を実践していくこと、それが目指す方向です。
こうしたことは、昔の農村漁村社会ではたぶん普通に実現されてたと思う。でも時代が進んで、必要なくなっちゃった。地域のなかで、田んぼを共同で管理する手回りっていう制度があったり、お祭りをみんなで協力してやったり。たとえば大工さんは、大工仕事だけをやっていたわけじゃなくて、神社の祭りのときは神輿を作ったりとかもしていたわけです。日々の暮らしの中でそんなものがあったはずですが、効率化を求めるがあまりに手放してしまった。それをもう一度取り戻す生き方があってもいいんじゃないか、ということです。目の前の稼ぎだけを考えるんじゃなくて、未来を考えて、こういう暮らしがいつまでできるか、できる必要があるんじゃないかっていう。言うんじゃなくて、やるっていうところに強みを感じています。
普段の生活
普段はオフィスの中だけにいるわけじゃなくて、島内をうろうろしています。あとは、会社のメンバーと交代で毎日田んぼをまわったり、昼は素潜り漁に行ったりします。主にサザエとアワビですが稼ぎになる。週に1回は採れたものをみんなで食べながら、仕事だけじゃない部分の話を共有するっていうランチシェア。アフター5は結構忙しいです。飲み会や、メディアの取材、島へ訪問してくれる人たちとのいろんな集まりがあります。あとは最近やっている神楽の稽古があったりだとか。忙しいですよ。消防団とか、商工会青年部とか人手が足りないし、コミュニティの中のいろんな役割が足りていないんです。全然スローライフじゃありません(笑)。