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株式会社御祓川 代表取締役 森山 奈美さん

地域でかっこいい大人と出会う

七尾市生まれで高校まで七尾育ちです。高校を出た時点から、全然具体的なことは考えていませんでしたが、いつか七尾に戻ってまちづくりをやろう、と思っていました。周りにそんな友達はいませんでしたけど(笑)。父が七尾で会社を経営していて、まちづくりに関わっていました。町が変わっていくわくわくするような話が家でいつも飛び交っていたりしたんです。それが影響していますね。大学は横浜へ。七尾が港町のまちづくりをすすめていて、港町といえば横浜かなという割と短絡的な理由でした。横浜の大学では、都市計画を勉強しました。

卒業後に七尾に戻って、金沢の都市計画コンサルタントに就職しました。4年間働いて、1999年6月に株式会社御祓川を設立してスタッフになってからも、2007年9月に代表になるまで、しばらく兼務というかたちで雇ってくれていました。現在、働いている社屋の真ん前を流れる御祓川の改修計画や川沿いの都市計画道路の計画など、まさに、念願かなって、地元のまちづくりに専門家として関わることができたのです。このときの経験は、自分の問題意識をより具体的にしてくれました。また、株式会社御祓川という会社を作る企画自体が、コンサルタントとして携わっていた仕事の中から出てきたものでもあります。中心市街地の活性化の計画を立てているとき、この活動を担うための民間のまちづくり会社が必要ではないか、ということになったのが会社設立のきっかけ。この時に、コンサルタントとしての計画立案、現状の分析、課題の発見など一通りの仕事の流れを身につけて、今現在もその経験をベースに活動しているところは大きいですね。

まち育て、みせ育て、ひと育て

会社の事業には、まち育て、みせ育て、ひと育て、という3つの柱があります。まち育てに関しては、地域の資源を使った着地型観光のプログラムを開発したり、担い手たちを繋ぐ仕事をしています。みせ育ては御祓川沿いのお店や能登の特産品のネットショップのプロデュース。商品開発などもしています。ひと育ては、ETIC.さんと今お付き合いのある長期実践型のインターンです。地域の企業と若者のマッチングや、ワークショップの研修なども行っています。

スタートはまち育てからです。会社名に川の名前がついているくらいですから、御祓川周辺のまちづくりとして、川をどうやってきれいにするかというところから始まりました。御祓川は七尾にとって大事な川なんです。街中には2本の川が流れていますが、広い方の桜川は、水害を避けるための放水路として拡幅した川。山からの水が桜川に多く流れるようになったので、もう一本の街中の御祓川にあまり水が流れなくなってしまった。だから今も御祓川は奇麗な川ではありません。私が生まれた時から汚れた川だったんですね。

そこに浄化施設を入れる実験をしばらくやってきたんですが、川を浄化装置を使ってきれいにするっていうのはどうなんだろうって思うようになりました。私は装置を使わない浄化を目指してるんじゃないかと。だって昔は下水道がなかったころでも川はきれいだったわけですしね。
そう考えると、もっと問題は根深いところにあって、暮らし方から変える必要がある。川と住んでいる人たちの関係を再生することのほうが大事なんじゃないか、と思うようになったんですね。きれいになるということに急がず、関係づくりをじっくりやっていこうと。きれいにするのを目標にしちゃうと、きれいになったら終わっちゃういますが、関係づくりは終わらないので。

そう考えて、市民活動をサポートしたりとか、川沿いに店を作ったりとか、川にかかわる市民活動を手伝ったりといった事業をしてきました。

すると川の周りの賑わいを作るっていう時の装置が必要になってくる。みせ育てです。店に行くために、川沿いに人が足を運ぶという流れです。ギャラリー、飲食店、美容院などのプロデュースをお手伝いしました。最近また空き店舗や空き家が目立ってきているので、今後、みせ育て事業はプロジェクト化し、インターン生と一緒にやろうと思っています。
町の課題として大きいのは、やはり後継者がいないことです。つい最近も、長いことやっていたお茶屋さんが、後継者がいないために閉店して、とってもいい建物だったのにどんどん朽ちていったりしていて。だから、私たちが創っていく事業のモデルが、またその次のものを生み出して、引き継がれていくような形にならないといけないということで、インターン生と一緒にプロジェクト化していこうとしています。

店と一緒にやっている商品開発としては、ここ数年、能登なまこに力を入れてきました。なまこを使った石鹸や化粧水などの開発。能登スタイルストアというウェブサイトを立ち上げて、その事業者さんとの勉強会から出てきたアイディアです。ここの売上は、会社の支えの一つになっていますね。

自分で決めて、自分でやる

七尾は港と町がとても近いので、港を元気にすることで町も元気にしていこうというのが、私の父親世代がずっとやってきた活動なんです。親世代は、景気が良かった時代を知っているので、このままでは地域経済が大変だ、という危機感があって、まちづくりの活動をしてきたんだと思います。それと比べると、私はやりたいからやっていますね。わくわくするから、そのほうが楽しいからという感じで。危機感から町をこうしてやろうという思いは、親たちの世代と比べるとないかもしれない。
もうひとつ、親世代との違いから学んだのは、市民参加のワークショップ型なのか、少人数でリスクをとってはじめる会社型なのかという2つのアプローチ。都市計画のコンサル時代も、市民がどうやってまちづくりの計画に参画するか、というアプローチでずっとやってきたので、市民参加が、絶対いいことだと思っていたんですよ。ところが、株式会社御祓川を設立するときにとった手段は、広く市民の協力を得ることではなくて、限られた人数で腹を括ってやるというやり方だった。そのほうが意思決定が速いんです。勿論リスクもあるんですけど、自分たちが決めて、自分たちでやるという当たり前のやりかたで。親世代のそのアプローチを目の当たりにしました。

ある程度、スピード感をもって、大きい事業を進めていくときには、リスクをとって、主体性を持って、自己責任でやっていくというスタイルじゃないと、いつまでたっても前に進まない。一方、川をきれいにしよう、川と関係を結びましょう、といった活動は、時間がかかってでも、なるべく多くの人に関わってもらう。責任感というよりは満足感とか楽しかったというところを重視して進めていく活動です。どっちがいいとか悪いとかではなくて、両方の組み合わせなんですね。

まちも自分も変わっていく

自分自身が町にかかわっているという感覚そのものが、楽しさであり、醍醐味であり、やりがいですね。変わっていく街の中に、自分自身がかかわっている感じというか。町も変わって、自分も変わっていく。そういう意味では、大きな町じゃないので、何かをやるとすぐに話題になる。一つ何か事を起こした時のインパクトが大きいですね。

まち・みせ・ひとの3つがあって、町と店、店と人、人と町、それぞれの関係がいい状態を目指しているんです。それが正常な町は、経済もきちんと回っていて、自然環境も守られている持続可能な地方都市だと思うんです。

今の時代を自分たちが担っているという感覚

まちとみせとひとの関係がすごく正常な状態の持続可能な社会、というのがビジョンですね。会社では、それを”小さな世界都市・七尾”と呼んでいます。小さな世界都市は、世界に通じる考え方とか質とかを提供できる小さい町です。ひとつで自立している。もちろん、外との関わりはありますが、たくさんの小さいもので支えている感覚。地域経済も回ってるし、次の世代の人材も育っているし、自然資源もちゃんと循環している。そういうものを作れたらいいなぁと思ってます。

これは一世代で急には達成できない。そういう意味で次の世代を、と思い能登留学(http://notoryugaku.net/)をはじめたんです。まだ始めて1年ですけれども、すごい可能性がありますね。人からつながるものとか、生まれていくものを考えていると、これはすごいなぁと思います。

あとは祭りの存在が大きいんです。毎年5月にある青柏祭というお祭りで、私が七尾に帰ってきた理由の一つはこのお祭りがあるからです。船の形をした巨大な山車、”でか山”というものが街中の細い道を猛スピードで動くんです。高さが12mもあるんですが、釘一本も使ってない。港町で造船の技術があったからできた。このお祭りが、これまでずっと続いていて、今も行われていて、将来もやっているんだろうなぁと思うことができる。自分も七尾の長い大きい歴史の中での、今の時代の担当なんだ、といった感覚があって。だから、このお祭りを町でずっと開催できていることが理想的な町の状態だと思っています。祭りではもっとも明確に地域のつながりがわかります。どの世代のひとも関わりがあって、楽しみ方と役割があって、祭りの時にだけ発動されるヒエラルキーがあったりもして。経済的なところは勿論、地域の教育的な部分も含めて、実は祭りってものすごく大事なんですよね。小さいときから、ずっと祭りが好きっていうだけでしたけど、今になって思うのは、この祭こそ、まちづくりのベーシックな部分なんだなぁということですね

地域で仕事をするということ

地域で仕事をするということは、それこそ、祭をはじめとして、地域の人と共に暮らすという感覚を養うことになります。人と人のつながりが深いですし、自分自身を構成しているものを見つめ直して、将来をじっくり考えるきっかけにもなると思います。人生は、自分で選んで切り拓くものであると同時に、自分では選べなかったこと、たとえば、この時代のこの国に生まれたこと、自分の家族など、与えられたものから自分の役割を見出していくことでもあります。地域に生きる人々から、その地域を担っていくという役割を果たしていることの意義深さやかっこ良さを感じてもらえたら嬉しいですね。そして、地域にとっても、若者を受入れることによって、自分たちのアイデンティティを改めて問い直したり、新たな気づきを得たりすることになると思うのです。

地域とともに生きる

地域を自分がどうこうしてやろうという感覚だと疲れてしまうんですよね。地域と共に生きるという感覚のほうが感謝の気持ちも出てくるし、受け入れられているなぁという感覚があるんじゃないですかね。

若い時は、「私がこの地域をどうこうしよう!」という思いが強かった気がしますが、ある時点でそうじゃないなぁ。自分がここに住みたくて、住ませてもらってありがとうじゃないかという思いに変わってきました。

地域に長くいると、そこにすでにあるものにものすごく助けられていることがわかってきます。地域資源のなかで私の作ったものなんか一個もないですし、これから生み出していく新商品などもすでにあるものを使わせてもらっている。そこにある自然も含めて、そこにいれば使わせてもらえるものなんですよ。

それはさっきのお祭りの山車、でか山のようなもので、働きかけに対して反応してくれるもの。たくさんの人たちと一緒にでか山を引っ張っている時は凄いスピードになるんですけど、天気が悪くて、引手が少ないとなかなか動かない。でも、自分がぎゅっと力を入れた時に動き出す感覚があるんです。今、自分が引っ張ったから、20トンの山車が動き出したという感覚が。それとよく似ているなと思います。

地域での生活

いまは基本的にインターン生達との共同生活です。数年前に買った家をインターンハウスにして、一緒に生活をしています。朝起きて、一緒に出掛けて、一緒にご飯も食べる。会社ではミーティングをしたり電話をしたり、資料作成をしたり。まちの事業者の人が来て、お話をして、もらいものをしたり。今の時期だったら、きゅうりとかトマトとか。たまには、インターンハウスで、みんなで一緒に夕ごはんを食べて、そこで熱い語りが入ったりする。夜は、ゴスペルグループで活動をしていて、歌の仕事も少しやっています。水曜日は、大学で教えているので、一日金沢のことが多いかな。土曜日は、町のイベントがあることが多いので、だいたい仕事です。日曜はお休みです。

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